別府温泉街の足元を支えるチタン製グレーチング
一年を通して観光客でにぎわう大分県・別府市の別府温泉。道路や歩道の脇に目を向けると、側溝からもくもくと湯気が上がっている。その側溝を覆っている金属製の格子、それが「グレーチング」だ。グレーチングは、排水を容易にする役割があるが、別府温泉では、硫黄分や酸性成分を含む蒸気・温泉水にさらされ、従来の鋼材では短期間で腐食が進んでいるケースもあった。
「交換タイミングが分かりにくい」と維持管理の心配を常に抱えていた別府市に対し、日本製鉄は耐食性に優れるチタン製グレーチングの導入を提案。西日本の代表的な酸性泉を含むこの温泉地にニーズがあると睨んだからである。そしてグレーチング国内トップシェアのダイクレと共同で、受枠・ボルトまで含めた“全チタン仕様”を実用化した。“腐食を前提とする設備”から、“長期使用を前提とする設備”へ。温泉地で始まった挑戦を追う。
湯けむりの街を支える“足元のインフラ”

湯けむりに包まれた街を歩く。
別府の温泉街では、それが日常の風景として息づいている。通りに面した宿の軒先、路地の奥、そして道路脇の側溝のあたりからも、白い湯気がふわりと立ちのぼる。ほのかに漂う硫黄のにおいから、「ここは温泉の街だ」と教えてくれる。

その一方で、この街の“足元”は、常に高温・高湿度の環境にさらされている。湯が地面のすぐ近くを流れ、温泉成分を含む蒸気が立ち上る。こうした条件の中で、人の往来を静かに支えているのが、側溝を覆う格子状の蓋「グレーチング」だ。人々の視線が向くことはほとんどないが、設置している環境や条件によって腐食の進行速度が大きくばらつくため、交換する時期は場所によって異なり、管理するグレーチングの状態をすべて把握するのは、当地では非常に困難である。
グレーチングとは、鉄やステンレスなどの金属を格子状に組み立てた溝蓋だ。道路側溝や公園、工場床などに設置され、排水を容易にし人や車両の転落を防ぐ役割を担っている。定期的な点検と更新を前提とした「交換型設備」として運用されてきた。
現場の課題:腐食と隣り合わせの管理現場

山下 恭助さん
別府八湯には単純泉から硫黄泉、酸性泉まで多様な泉質が存在する。中にはpH2〜3の酸性泉もあり、蒸気に含まれる硫化水素や塩化物粒子が金属を急速に腐食させる。亜鉛めっきを施した鋼製グレーチングであっても、設置環境によっては「1年経たないうちに交換」事例があったという。腐食の進行は場所や条件によって異なるため、交換時期に明確な基準はない。目視で腐食の進行を確認し、要交換と判断した段階で更新する運用としている。別府市では、温泉施設などグレーチングを設置している箇所については、施設の指定管理者や工事業者と連携しながら、施設点検等や工事立会いの機会に確認しているとのこと。
「設置している場所により、腐食の進行が異なるためすべてのグレーチングの状況を把握することは非常に困難です。交換する時期を想定することが難しいため、温泉のような特殊な環境下で持続可能な管理が難しいことが課題となっています」
腐食は環境条件によってばらつきが大きく、一律管理は困難。一方で、全数を早期更新すれば財政負担は増大する。限られた人員体制のなかで、管理する負担が多大となっているという。


全チタン製で“交換”を前提から“長期使用”を前提へ

(右)日本製鉄 中国支社:太田 貴之 主幹
こうした課題に対し、日本製鉄が提案したのが「全チタン仕様」のグレーチングだった。
本体をはじめ、受枠やボルト、ナットに至るまでチタン化することで、異種金属接触による腐食リスクも排除している。
チタンは、鋼に比べイニシャルコストが高い。しかし日本製鉄が示したのは、価格ではなく「点検頻度に悩まなくていい」というライフサイクル全体を考慮した価値※だった。
さらに、北海道・登別温泉において継続中の、チタンが酸性泉環境下でも腐食が確認されていない実証データを提示した。
別府市としても「コスト面は課題」としながらも、長期的なメリットを見据え、試験的に導入することにした。先行データの存在も、別府市が導入する上での判断材料となった、と日本製鉄の担当者は話す。
- ※毎年の交換費用や点検の人的負担、機能不全のリスク低減、さらには景観維持まで含めた総合的な価値
設置から半年、腐食も変色も確認されず
「設置してから約半年の間で、変化していない状況であることが確認できました。」
チタン製グレーチングが設置されてから約半年が経過した状況を踏まえ、従来の鋼製グレーチングであれば「特殊な環境下なので交換時期について検討することが困難なもの」と扱っていたが、チタン製グレーチングはその扱いにしなくてもよいと整理したとのこと。
もう一つ、意外だったのは外観の安定性だという。
現在のところ、腐食や変色は確認されていないが、今後も経過観察を続けてみたいとのことであった。
トップメーカーの新たな挑戦

別府温泉に設置されたチタン製グレーチング。その製造を担ったのが、広島県呉市に本社を構える株式会社ダイクレだ。
造船・製鉄を中心に発展してきた工業都市・呉市。瀬戸内海に面し、重工業とともに歩んできたこの土地で、ダイクレは金属加工技術を磨いてきた。創業以来、鋼材を自在に扱う技術を蓄積し、社会インフラを支える部材として国内で初めてグレーチングの製造・販売を開始し、市場を牽引。現在も国内シェア約4割を占める業界のトップメーカーである。

長谷 亮佑さん
工場では、主部材(ベアリングバー)と補助部材(クロスバー)が直行する様に整列され、通電と圧力によって瞬時に接合されていく。長年磨かれてきた圧接ラインは、鉄のグレーチングを大量かつ安定的に生産する基盤だ。ダイクレと日本製鉄との繋がりは深く、日本製鉄の中国支社においては、ある会合の重職をダイクレの現会長・社長が10年以上にわたり務めていただいている関係もある。きっかけとなったのは、別のチタン製品の制作検討が工場の一角で始まったこと。チタンは、ダイクレにとって主材料ではない。扱い慣れた鋼材とは性質が大きく異なる。溶接管理は難しく、加工条件も未知数だった。しかしながら1年程度の開発期間を経て、その別製品は市場に出ることになる。その経験から舞い込んできた、温泉地向けのチタンを用いたグレーチングの開発。株式会社ダイクレ 技術本部開発部で新製品開発を担当する長谷 亮佑さんは振り返る。
「チタンは扱いが難しい材料という認識はありました。ただ、当社の主力製品はグレーチングです。『グレーチングでできない』とは言いたくなかった。」
トップメーカーとしての矜持が、挑戦の出発点となった。


“できないとは言わない”開発姿勢
チタン製グレーチングの実現には、チタンの溶接性等の課題を解決する必要があった。
チタンは空気中の酸素と反応しやすく、溶接部に酸素が混入すると脆化する。そのためTIG溶接※ではアルゴンガスによる厳密な遮蔽管理が不可欠だ。
- ※消耗しないタングステン電極とアルゴン等の不活性ガスを用い、スパッタ(火花)を出さずに高精度で溶接ができるアーク溶接の一種
そこでまずはステンレス製のグレーチングの素材をチタンに置き換え、現生産手法でどこまでできるのかを確かめることにした。本格的な開発がここから始まったのである。
「圧接」という技術が開いた突破口
最大の課題は、生産性であった。ステンレス製グレーチングは「組み込み構造」での製作を行っている。ベアリングバーに穴を開け、クロスバーを通し、各接点を溶接する方式だ。しかし、チタンで同じ工程を行うと、溶接点が増え、作業時間は大幅に延びる。チタンは溶接時の管理が厳しく、溶接部をアルゴンガスで完全に遮蔽しなければならない。「組み込み構造」では、現実的なコストを実現することは困難と言う判断となる。
「別の製造方法ではだめなのか」
突破口として検討されたのが、ダイクレが長年培ってきた“圧接”だった。ベアリングバーを並べ、クロスバーを押し込みながら通電し、電気抵抗熱で接合する。鉄製では標準技術だが、チタンで成立する保証はなかった。
圧接の条件を一つずつ変え、試作と評価を繰り返す。通常なら必須とされるアルゴンガスを用いず、ダメ元でテストを行った。
「……ついた!」
チタンは想定以上に圧着と相性が良く、瞬時に強固な接合を実現していた。チタン製グレーチングが、技術的可能性から“実用製品”へと前進した瞬間だった。


素材と加工技術の連携が広げる、チタンの未来
チタンは、海水や温泉、酸性環境といった腐食条件下で使用実績を持つ素材だ。羽田空港滑走路桟橋部材※など、極限環境での採用例がその耐食性を裏付けている。しかし、素材として優れていても、チタンは加工や接合条件の設計が難しく、わずかな条件差が品質や強度に影響してしまう。今回のチタン製グレーチングは、日本製鉄の素材技術と、ダイクレが長年培ってきた圧接・製造ノウハウが重なり合うことで実現した。耐食性と量産性を両立させる設計が確立されたからこそ、過酷な腐食環境に対応する実用インフラとして成立したのである。
別府温泉街の環境は、ひとつの“極限”かもしれない。だが、社会には同様の条件が数多く存在する。素材と加工が連携することで、チタンの可能性はさらに広がっていく。
観光客でにぎわう湯けむりの街。その足元で、グレーチングは今日も人々の安全を守り続けている。人が何気なく行き交う場所から、素材と技術は社会の安全と信頼を支えている。
- ※羽田空港滑走路桟橋部材にチタン材が使われた事例(日本製鉄ニュースリリース 2009年[PDF:59KB])