日本製鉄音楽賞受賞者インタビュー
フレッシュアーティスト賞/ピアニスト
久末 航(ひさすえ わたる)さん

世界は広い。さまざまな経験を重ね、“いまの自分”にしかできない音楽を奏でる

日本製鉄音楽賞フレッシュアーティスト賞を受賞し、2025年には世界三大音楽コンクールであるエリザベート王妃国際音楽コンクールにおいて、日本人として最高位の第2位に輝いたピアニスト・久末航さん。音楽家の家系に生まれたわけではなく、自由でのびやかな環境の中で感性を育み、さまざまな人との出会いや経験を重ねながら、独自の音楽観を築いてきました。いま、世界が注目する若き音楽家は、どのようにしてその表現へとたどり着いたのか――その歩みと内に宿す想いに迫ります。

ピアノと学業を両立し、大学受験を経て、ピアニストの道へ

――このたびは受賞おめでとうございます。まずは、ピアノとの出会いからお聞かせください。

私は滋賀県出身で、琵琶湖や山々に囲まれた広い空のもとで生まれ育ちました。両親は音楽の専門家ではありませんが、音楽が好きで、家ではクラシックやジャズなどさまざまな音楽が流れていました。そのおかげか音には敏感な子どもだったようで、不協和音を耳にすると「この和音は汚いね」などと口にしていたそうです。
ピアノを始めたのは5歳の頃。母が時々弾いていた電子ピアノを、「弾きたい」と言ったのがきっかけでした。誰かに聴いてもらいたくて、わざと窓を開けて弾いていました。温かく見守ってくださったご近所の皆さんには感謝しています。
実はそれ以前の私は、かなりやんちゃないたずらっ子でした。それがピアノを始めてからは、エネルギーの矛先がピアノに向かったおかげで、少し落ち着きが出てきたようです(笑)。

グランドピアノの鍵盤の前に座る幼少期の写真
――それからは、ピアノ一色の生活だったのでしょうか。

いいえ、全く。地元の教室に通い、レッスンの前に少し練習をする程度で、日常のすべてがピアノ中心というわけではありませんでした。両親は、私の意思を尊重し好きなことをやらせてくれるタイプで、「ピアノをやりなさい」と言われたことは一度もありませんでした。
幸運だったのは、先生のもとにさまざまな楽器を演奏する方が集まっていたことです。ヴァイオリンやフルート、トロンボーンなどの伴奏をする機会に恵まれ、音楽をのびのび楽しんでいました。
小学校6年の頃に、先生から「さらに才能を伸ばしたほうが良い」と、別の先生をご紹介いただき、そこからコンクールに挑戦するようになりました。中学の頃は部活動には入らず、コンクール前には一日8時間から10時間ほど練習する日々。それでも幸いにして結果がついてきたので、ピアノと向き合う時間を前向きに楽しむことができました。毎回熱のこもったレッスンで導いて下さった先生には、とても感謝しています。

――高校は普通科に進まれました。音楽高校に進まなかった理由を教えてください。

当時はまだ、音楽の道に進むと決めていませんでしたし、興味の幅も広く持っていました。音楽高校に進むことで将来の可能性が音楽だけに限定されてしまうのは、少し早いように感じていたのです。高校ではもう少し視野を広げたい――そう考え、滋賀県立膳所高等学校に進学しました。
振り返ると、この選択は本当に良かったと思います。膳所高校には自由でのびやかな校風があり、生徒一人ひとりの個性を大切にする雰囲気がありました。好奇心旺盛で、多様な分野に挑戦する友人たちに刺激を受けながら、私自身もコンクールやリサイタルに挑戦し、ピアノと学業を両立していました。

――それから大学受験を経験されました。

はい。高校で物理に興味を持ち、理学部への進学を目指して受験を選択しました。ですから高校3年の時は、ピアノよりも勉強に多くの時間を費やしました。しかし、結果として大学受験はうまくいかず、浪人するべきかどうか迷っていた時期がありました。
そんな中、卒業式の後に突然、フライブルク音楽大学のピアノ教授であるギレアド・ミショリ先生から電話をいただいたのです。「時間があるなら、ピアノを本格的に勉強してみないか」と。当時の私にとっては、思いもよらない提案でした。
フライブルク音楽大学の入試は7月。そこから急いでピアノに取り組み直し、ドイツ語や、入学に必要な知識を必死に勉強して入試に臨んだのです。

――突然大きな転機が訪れたのですね。迷いはありませんでしたか?

不思議と、迷いはありませんでした。ミショリ先生とは、中学1年生の時に大阪で開催されたマスタークラスでレッスンを受けたのが初めての出会い。それから6年間はまったく連絡を取っていなかった先生から、卒業式直後という絶妙なタイミングで電話をいただき、しかも私がたまたまその電話に出られた。そこに運命的な、大きな流れのようなものを感じたのです。「この流れに乗っていこう」とドイツ留学を決めました。そこから、ピアニストの道へと大きく舵が切られました。

海外での挑戦で音楽への理解が深まる

――ドイツ留学時代には、ご苦労はありましたか?

ドイツ語にはもちろん苦労しましたし、一人暮らしも初めてでした。日本では当たり前のことがドイツでは通用しないことも多く、最初はカルチャーショックの連続でした。
ただ、その環境に身を置いたことで、確実に“耳”が育ち、音楽への理解が深くなっていきました。特に、ドイツ語で考え、話すことで、ベートーヴェンやシューマン、ブラームスなどドイツ語圏の作曲家たちの音楽に宿る息遣いや思想が、自分の中で腑に落ちていく感覚がありました。吸収力の高い時期に海外へ挑戦できたことは、とても幸運だったと思います。

――ピアニストとしての覚悟が固まったのはいつですか。

一つの節目は、2017年。当時23歳で、まだ“覚悟”というほどの強い意思は固まっていませんでしたが、ミュンヘン国際音楽コンクールで入賞したことで、自分の中に小さな自信と覚悟が芽生えたように思います。
そして、2025年のエリザベート王妃国際音楽コンクールの受賞は、ピアニストとして新しい段階へ進んだと明確に感じられる出来事でした。自分の音楽人生のフェーズが一段変わった、そんな感覚です。

温かく迎えてくれたホストファミリーの方々と
エリザベート王妃国際音楽コンクール、世界最高峰の舞台での迫真の演奏
日本人史上最高位となる第2位を受賞し、表彰式でディプロマを掲げる

――現在もベルリンを拠点に、2カ月に一度のペースで日本に戻り活動されています。ベルリンはどんな街でしょうか。

ベルリンは、アーティストにとって非常に魅力的な街です。クラシック、ジャズ、テクノなど多様な音楽シーンが共存し、美術館やギャラリーも豊富。バレエやオペラも日常的に楽しめて、さまざまな文化が混ざり合うカオスのようなダイナミズムがあります。その中に身を置くことで、型にはまらない刺激を受けます。
一方で、海外に住むからこそ、日本の魅力を再発見することも多いですね。やはり日本食や温泉が恋しくなります(笑)。

ドイツの教会でピアノ五重奏曲を演奏
2022年にはベルリン・フィルハーモニーホールにてソリストとして出演

多様な経験が、演奏に深みを与える

――演奏で大切にしていることは何でしょうか。

クラシック音楽は、ある意味では既に完成された作品です。しかし、演奏する私たちが鍵盤に触れた瞬間、その音楽が“いま、生まれている”と感じられるような演奏をしたいと思っています。
そのために欠かせないのが、徹底した「準備」です。作曲家がその曲に託したメッセージは何か――を考え、さまざまなアイデアを集めて、練習を重ねる。そうして入念に準備をしたうえで、いざ舞台に上がったら、そのすべてを一度手放し、自由に音楽と向き合う。そんな演奏を理想としています。
最近は、いかにミスタッチなく弾くかが重視されがちですが、音楽の本質はそこではないと、私は思っています。いかに完璧に弾くかではなく、いかに作品に宿るメッセージを伝えるか――その一点を、大切にしています。

――これまでの歩みの中で、ピアノを辞めたいと思ったことはありますか。

あります、それも何度も。ピアニストは、孤独な仕事です。一人で長時間練習を重ね、舞台にも基本的には一人で立ち、音楽を完結させる。その孤独と向き合い続けることに、難しさを感じる瞬間は少なくありません。
また、音楽は形として残るものではなく、目に見える成果が積み重なっていく仕事でもありません。やはり舞台に立ち、お客様に音楽を届け、拍手をいただけた時に、やりがいや達成感が最も満たされます。ただ、そうした瞬間が日常的にあるわけではないからこそ、モチベーションを保ち続けるのが難しいと感じています。

――そうした困難な時期を、どのように乗り越えてこられたのでしょうか。

簡単な方法があるわけではありませんが、そういう時ほど視野が狭くなっていることが多いように思います。ですから、あえて音楽から距離を置き、ジムで体を動かしたり、全く別の事に時間を使ったりするようにしています。一度離れることで、気持ちを取り戻せることもありますし、結果的に音楽とより良い関係で向き合えるようになる気がしています。

――普段の練習で、意識をされていることはありますか。

普段は4~6時間ほど練習する日もあれば、まったく弾かない日もあります。私は、鍵盤に向かっている時間以上に、ピアノから離れている時間の質が大切だと思っています。もちろん一日に10時間練習する方もいると思います。それはそれで一つのスタイルですが、私の場合は5時間練習したら、残りの時間は読書をしたり、散歩に出たり、人と会ったり、美術館に足を運んだり…と、ピアノ以外の経験を積むようにしています。
そうしたさまざまな経験が、演奏に深みを与えてくれると思います。実際、私はもともと理系の勉強をしましたが、その経験が音楽の数学的な面を理解するうえで役立っています。
世界は広い。だからこそ、鍵盤の前だけで完結するのではなく、さまざまな経験を重ねることが大切だと思っています。

その時々の自分にしかできない音楽を

――どのような演奏家を目指したいですか。

私がエリザベート王妃国際音楽コンクールに出場したのは、30歳の時でした。若い演奏家の方が評価されやすく優位と言われる中で、「さまざまな経験を積んだ30歳の自分にしかできない演奏をしたい」と思い、出場を決めました。その演奏を評価していただき、受賞することができました。
演奏家は舞台の上で真っ裸になるのと同じぐらい、音楽を通してその人の考え方や価値観といった人間性が表れます。それは音楽の怖さであると同時に、大きな魅力でもあります。だからこそ、人として成長し続け、さまざまな経験を積みながら、人間性を磨いていきたい。そして、その時々の自分にできる音楽を大切にしていきたいと思っています。
その上で、今後はドイツや日本にとどまらず、活動の場をさらに広げていきたいですね。昨年はベルギーや韓国、ブルガリア、スイスなどでも演奏する機会に恵まれました。これからもより多くの国や地域で演奏し、広い世界に触れたい。音楽家にとって30代はまだ若手といえるので、まだまだ成長を続けたいと思います。

2026年1月、満員のベルリン芸術大学 大ホールにて演奏
2026年2月、ブルガリア・ソフィアで演奏

――日本製鉄紀尾井ホールでの演奏会の予定もあります。抱負をお聞かせください。

日本製鉄紀尾井ホールは、素晴らしい響きと雰囲気があり、音楽家にとって理想的な舞台の一つです。私にとっては、東京で初めてリサイタルを行った思い出深い場所でもあり、何度舞台に立っても、その魅力を改めて実感します。
そのような特別なホールで再び演奏できることを、大変うれしく思っています。会場で皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。

(プロフィール)

久末航(ひさすえ・わたる)
1994年、滋賀県大津市に生まれ、5歳からピアノをはじめる。滋賀県立膳所高等学校を卒業後、ドイツに渡り、フライブルク音楽大学で学ぶ。同大の他、パリ国立音楽院やベルリン芸術大学でも研鑽を積み、いずれも最優秀の成績で修了した。これまでにG.ミショリ、E.シュトロッセ、P.ドヴァイヨン、K.ヘルヴィヒ各氏に師事。2025年には、世界三大音楽コンクールの一つであるエリザベート王妃国際音楽コンクールで日本人史上最高位となる第2位を受賞し、国際的に大きな話題を集めた。その他、ミュンヘン国際音楽コンクールで第3位および委嘱作品特別賞、リヨン国際ピアノコンクール第1位および聴衆賞、青山音楽新人賞など数多くの受賞歴を持つ。現在はベルリンを拠点に、国内外でリサイタル、コンチェルト、室内楽など幅広く演奏活動を行っている。