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耐寒歩行 西山選手、講道館杯優勝

広畑天満宮の秋祭りに参加

高橋徳三選手勇退
cha-spo創刊号に岡泉監督特集 岡泉監督が姫路市の観光大使に任命
浦邊正洋選手勇退 平成20年 新年ごあいさつ
米富和郎選手入部 佐藤勇作選手勇退
新聞に掲載「柔道を通じ地域社会に貢献」 高橋慶一選手勇退

耐寒歩行
こんにちわ!
柔道部/齋藤です。

12/19~20に行った耐寒歩行について書かせていただきます。
(本当は思い出したくないんですが…笑)

耐寒歩行は精神鍛錬、体力強化等を目的に8年ぶりに柔道部で行いました。

区間は、岡山県の日生駅を出発し広畑までの、約55キロという果てしない道のりを歩いて帰ってきました。前日までは「全員でゴールできるのか?」という不安もありましたが、なんとか無事に全員でゴールすることが出来ました。

最初は全員が軽快に進んで行きましたが、スタート地点から15キロくらいの赤穂の川沿いを歩いていると海風が非常に冷たく、肌に刺すような寒さで、足の痛さや疲れよりも、この寒さで心を折られかけました。しかも、第1休憩所に着く前に私たちの目の前に高取峠が立ちふさがりました。平坦だった道が上り坂になり、歩道もない峠道をひたすら登る自分たちはいつしか話すことをやめていました。黙々と登る私たちの横を車が勢いよく追い越していきます。そろそろ限界か!?と思っていると目の前に第1休憩所が!!

この時に吉岡マネージャーや中村先輩、永井副監督の奥さん&こうき君が作ってくれたラーメンとおにぎりは、も~これは絶品で一気に寒さも疲れも吹き飛び元気になれました♪ (写真は寒さで撮影者の息が写ってしまいました。)

15分ほど休憩してからスタートしましたが、休憩で冷えきった体に峠の下り坂は厳しく、膝・腰への負担は蓄積されていき、さっき貰った元気はどこかへ ・ ・ ・ 。30分も歩くと既に次の休憩所のことしか考えられなくなっていました。

そんな自分と古賀先輩の耳に、悪魔の囁きが入ってきました。。。
G先輩(経験者):「後15分くらいで第2休憩所やな。」
齋藤&古賀:「わかりました♪」
・・・・・15分後・・・・・
G先輩(過去2回経験あり):「後15分やな」
齋藤&古賀:「頼みますね先輩♪♪。」
・・・・・さらに15分後・・・・・
G先輩(本当に経験者なのか ・ ・ ・ ):「後15…」
齋藤&古賀:「 ・ ・ ・ (後30分はかかるなぁ。)」
結局G先輩の最初の発言から50分くらいかかりました。。。笑

なんとか第二休憩所にたどり着き、カサブンラカのママさんやリバテックの梶さんが作ってくださったご飯を食べた瞬間に疲れや痛さが吹き飛び、体力の回復と休憩所のみなさんへの感謝の気持ちで「ラスト14キロ頑張ろう」という気が起こり、ここからまたみんな頑張れたと思います。

そしてラスト14キロと聞いたのですが、ここからの道のりが非常に長くとても辛かったです。 以前から「第二休憩所の後からがきつい!」と聞いていましたが、まさにその通りで、室津の七曲りを越えてからの直線(御津→網干→広畑)はとてつもなく長く感じ、最後の最後はまさに気持ちでゴールしたなという感じでした。

このゴールした後の達成感は柔道で優勝した時とは別で、なんとも言えない感覚でした。もちろんいい意味で!

この耐寒歩行では、精神鍛錬ということもあり、まさに己自身との戦いもありましたが、きつい時こそお互いで声を掛け合ったりし、励ましあったりと、やはりチームプレーの大切さも得られ、それがあったことにより全員がゴールできたと思っています。

この経験は試合でも必ず活きると思います。

このような貴重な経験が出来たことに感謝し、得られたものをプラスに出来るようにし、柔道のほうも頑張っていきたいと思います。

追伸
寮に着いた時の監督の顔は笑っていませんでしたが、膝が笑っていたのは今でも皆の脳裏に焼きついてます。笑


西山選手、講道館杯優勝

11月16日に千葉グリーンアリーナで、平成20年度講道館杯全日本体重別選手権大会が行われ、-90㎏級で西山選手(本社)が初優勝を果たした。

西山選手からのコメント
「今年の6月での海外遠征で怪我をしてしまい、練習ができず、リハビリとトレーニングを積み重ね、講道館杯での優勝を目標としてやってきました。

いつも練習をさせてもらってる、国士舘の後輩や先輩、先生方、JISSのスタッフの皆さん、いつも応援してくれている新日鐵の部署の皆さん(ブリキ営業部)、会社の皆さんに感謝して試合に臨みました。

怪我を克服する事ができ、結果としては、何とか決勝戦に進み、優勝する事が出来ました。

今までは、講道館杯が目標でしたが、ここが最終目標ではないので、この結果に慢心する事なく、次に出る試合で優勝する事を目標に日々練習を積んでいきたいと思います。」



広畑天満宮の秋祭りに参加

10月18~19日に行われた姫路市広畑区の広畑天満宮・秋祭りで、当柔道部(独身者)は、今年も当所北野アパート自治会に参加させていただき、屋台を担ぎました。

そのときの写真を北野アパート自治会さまよりご提供いただきましたのでご紹介します。

※参加した部員の感想などは、
  当柔道部ブログ「ロッカールーム」をご覧ください。
  http://nssmc.cocolog-nifty.com/judo/




左端が当部OBの郷さん、右端が吉崎選手

写真中央に、身長が高い小野選手の顔が見える

夜の練り合わせ(北野アパートの屋台は左から2台目)

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高橋徳三選手勇退

6月末をもちまして新日鐵柔道部を勇退しました高橋徳三です。
皆様にはなんのご挨拶もなしに大変申し訳なく思っており、この場を借りましてご挨拶させていただきます。

初めて『新日本製鐵』と刺繍された柔道着を身に着けたのは、もう9年3カ月前のことです。あの日本のトップのチームの一員になれたこと、憧れの選手と同じ団体のチームとして戦えることに、胸の高鳴りを抑えることが出来なかったのを今でも覚えています。

また、試合のときには遠方であろうとも多くの方々が応援に足を運んでいただいたのには驚きました。しかし、入社当時の私はそんな皆様の応援に対し、「人のために頑張るんじゃないんだ。自分が勝ちたいからやるだけだ」という未熟な考えの持ち主でした。

ある日、会社でいつも応援して下さる方とお話ししたときに、「君達(新日鐵柔道部)が負けると本当に悔しい。君達はもっと悔しいかはわからんけど、私も本当に悔しい。本当は私が畳に上がって戦いたいくらいの気持ちなんだけど、それは出来ないから君達にすべてを託して応援するしかないんだ。君達は私達の代表なんだ。だから私は応援というかたちで出来る限り君達と一緒に戦う」と、熱い叱咤激励をいただきました。その言葉をきっかけに私の柔道の中に、応援して下さる方々の力が加わるようになりました。

練習でしんどくて妥協しそうな時、結果が出せなくて挫折しそうな時、試合で劣勢に立たされ苦しい時、何度も皆様の声が私の背中を押してくれました。

新日鐵の道着を着ている以上、応援して下さる方々がいる以上、自分の個人的な感情であきらめるわけにはいかない。自分は多くの人の思いを背負っているんだ。という使命感のようなものが芽生えてきました。

最後まで団体優勝は成し遂げることは出来ませんでしたが、結果以上に素晴らしいものをたくさん手にすることが出来ました。9年以上もの間、一つの目標に向かって走れたことは、応援してくれた方々、指導していただいた顧問の先生や監督、共に切磋琢磨した仲間達、支えてくれた家族など私に関わるすべての人達のお陰と心から感謝しております。本当にありがとうございました。

私は今、アメリカの『ロサンゼルス天理道場』において、ジュニアからシニアまで幅広い年齢層の現地の人々に指導しております。広畑を離れても新日鉄魂は私の中に生き続けています。この9年で培った精神を今までとは違うステージでフル活用し、またその精神を多くの人々に伝えていきたいと思います。

そして、これからは新日鐵柔道部のOBとして、30回目の団体優勝を成し遂げられるよう、今までとは違ったかたちで共に戦っていきたいと思います。

皆様には今後とも変わることなく新日鐵柔道部にお力添えをいただけるよう宜しくお願い致します。 本当にありがとうございました。

2008年7月6日 高橋 徳三


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cha-spoに創刊号に岡泉監督特集

2008創刊号に岡泉監督が取材されました。

cha-spoとは「スポーツを通して、もっと楽しもう」を合言葉に『スポーツコミュニティマガジンchaーspo(チャスポ)』を創刊されたもので、姫路には様々な個性を活かしながらスポーツに取り組む人がたくさんおり、その中のアスリート達の人間性に刺激をうけ、みなさんにも少しでもアスリートに触れ、ちょっとでも家族の事を考えるいいきっかけにならないかと作られたものです。

是非、ご覧いただけたらと思います。


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岡泉監督が姫路市観光大使に任命
市長から観光大使に任命される岡泉監督

 柔道部の岡泉監督が姫路市の「ひめじ観光大使」に就任することになり、4月7日、石見・姫路市長から委嘱状を手渡された。

 岡泉監督は、柔道部監督をしながら一方で、全日本柔道連盟の強化コーチを約10年間勤めており、世界25カ国への渡航経験がある。 8月の北京オリンピックにも柔道女子(重量級)のコーチとして派遣される予定。

「市長さんから姫路のPRを依頼され、中国語表記の名刺までいただいた。住んで良し、観て良しの姫路の魅力を紹介したい」と抱負。


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浦邊正洋選手勇退
 浦邊正洋選手が2月末をもって勇退した。

 

浦邊正洋選手は平成19年4月に入社し、平成20年2月をもって勇退いたしました。

浦邊選手は、持ち前の素早い動きで得意技の内股で全日本実業団体柔道大会3部優勝に大きく貢献し、優秀選手賞にも選ばれました。

4月からは、地元の福岡に帰り福岡で刑務官として勤務します。

「一年という短い間でしたが、いろんな事を学ばせていただきました。これからは刑務官として新日鐵で学んだ事を活かせるように日々努力して行きたいと思います。本当にありがとうございました。」と本人談。



 (PROFILE)
 浦邊 正洋
 生年月日/1983年11月13日
 出 身 地/福岡県
 出 身 校/嘉穂高校→福岡大学


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平成20年 新年ごあいさつ
写真/1月15日、後援会や職場の上司の方々を招いて新年会を開催

 日頃より、私ども新日鐵柔道部に対しまして、絶大なる応援とご支援ご協力をいただき、誠にありがとうございます。

 さて、昨年を振り返りますと、個人・団体ともにここ最近では最も不甲斐ない年であったと感じています。特にチーム目標とする全日本実業団体戦においては、初戦敗退という屈辱的な結果となり、非常に悔しい思いが今も残っています。

 今年は、即戦力としての活躍が期待できる有望な新人を獲得することができました。また、スタッフとして永井・元主将に据え、スタッフ・選手とも充実した体制を整えました。

 今年こそは8年ぶり通算30回目の団体優勝を是が非でも獲得します。そのためにも、まずは2月からの全日本選手権大会の予選を勝ち抜き、4月の本大会に複数名出場すること!これが団体で優勝するための一つの鍵であると考えています。

 今年も、新日鐵柔道部は常に全力で戦う集団であり続け、皆さんに勇気と感動を与えるチームとして戦って行きますので、今後とも変わらぬご声援を宜しくお願い致します。

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米富和郎選手入部
 米富選手が入部し広畑に新戦力

 米富選手は平成19年11月より広畑柔道部に新戦力として加わりました。

軽量級で、国内外でも活躍しています。普段は明るく、面白い性格の持ち主なので、当柔道部にもすぐに溶け込み、今では欠かせないムードメーカーです。練習に対しては非常に真面目で、誰もが認める努力家です。

これからは、当柔道部で今まで以上の活躍を期待しています。

今年は自分の気持ちを原点に戻し、執念を持って勝負に徹し、目標に向かってがんばっていきます」と本人談

 (PROFILE)
 米富 和郎
 生年月日/1982年10月8日
 出 身 地/大阪府
 出 身 校/比叡山高校→天理大学

        →高陽住宅販売


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佐藤勇作選手勇退
 佐藤勇作選手が12月末をもって勇退した。

 佐藤勇作選手は平成18年に入社し、1年9ヶ月の間、チームの団体メンバーとして、恵まれた体格を活かした大外刈り、大内刈りなどでチームの勝利に貢献した。

勇退と同時に退社し、地元に戻り料理の道を目指す。

「これからは今までと違う道を歩んでいきますが、新日鐵で学んだ仕事や柔道の経験を糧に頑張っていきます。 」と本人談。

 (PROFILE)
 佐藤 勇作
 生年月日/1983年7月3日
 出 身 地/愛知県
 出 身 校/星城高校→天理大学

(平成19年兵庫グランプリ)
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新聞に掲載「柔道通じ地域社会に貢献」
 読売新聞(4月4日)「好きです!スポーツ」で岡泉監督と当柔道部の活動が紹介された。

 取材は当柔道場で3月に行われた。
 記事の前半では、岡泉監督が小学2年生で柔道を始めたきっかけや、当社入社後の活躍が紹介され、後半では「会社の仕事と柔道の両面で創造的な思考力を鍛えることは、よい結果に通じる」と監督の信条が述べられている。
 また、4年前から当柔道部が毎月行っている地域貢献活動も紹介され、「これからも柔道の強さを追い求めるとともに、地域社会に根ざした活動を続けていきたいと思います」と締めくくられている。

読売新聞(4月4日付)より
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高橋慶一選手勇退
 高橋慶一選手が12月末をもって勇退した。

 高橋慶一選手は平成16年に入社し、2年9ヶ月の間、得意の寝技を中心とした柔道で、自ら目標としていた国体も出場し兵庫県代表として活躍した。勇退後、退社し後地元に戻り教員を目指す。


 「新日鉄で培った3年間を糧として、今後の道で頑張っていきます。 短い間でしたがご指導有難うございました。 」と本人談。


 (PROFILE)
 高橋 慶一
 生年月日/1981年8月15日
 出 身 地/兵庫県
 出 身 校/御影工業高等学校→筑波大学

(平成18年のじぎく兵庫国民体育大会)
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