—伝統建築におけるチタンの可能性をどのように感じられていますか。
三村:
チタンは工業化されて70年余り。まだ若い金属のようです。社寺の世界では 1000年を超える木造建物があります。だから経年の実績を求められます。チタンは良い素材ですが、いざ使うとなったら勇気がいります。 100年後、 200年後に〝あのチタンの六葉が素晴らしい〞と言ってもらえたとき、初めて成功事例となります。今の時点では私にもわかりませんが、今は、皆さんが美しいと言ってくださる、それが救いです。
私なりにチタンの使い方を整理しています。木材は100年から 150年をめどに細胞壁が固まっていく性質があり、変形しにくくなることが古建築の材料からもわかっています。ですので、新材で建てた場合は木材の動きが落ち着くまで、粘土瓦の重みで制御するのがよいでしょう。一方で、 100年から150年ほど経過してくると、木材の持つ力が緩やかですが弱まると考えられるため、屋根を軽くすることができるチタン瓦に葺き替えるのも良いでしょう。
近年は人工乾燥の技術の進歩や、大径の木材が極少なので、初めから軽いチタン瓦を使ったほうが良い場合もあります。屋根にチタンを使うのだから、装飾金物や内装にもチタンを使ってみよう。銅など今まで使われてきた素材に選択肢の一つとしてチタンを加えてもらう。そのように考えています。
—今後の抱負をお聞かせください。
三村:
伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度行われてきました。現在も敷地内に生活して仕事をしている大工が、「宮大工」と呼ぶにふさわしいと思います。大工は今では木工大工だけになりましたが、昔はいろいろな職種の長が大工と呼ばれていました。大工とは、考えることができる人、判断することができる人でした。古代律令制のころ、木工寮(もくりょう) あるいは、修理職(すりしき)に属して官位を授かっていました。そういう歴史を知るほど、宮大工と名乗ることは、今の私はまだその域に達していないと感じています。でも、若いときはなぜか宮大工と呼んでもらいたいものなのです。それが先人の技術にすがってしまっているとも知らずにです。しかしながら、ただただ先達にすがっているようでは新しいものは生まれない。新しいものを、いわば妄想しないと私たちの業界は廃れてしまう。そうして、新しいものを生み出していくことで初めて、私たちが先人から受け継いだ技術に微力ながら新しい価値を加え、後世の人たちへ伝えることができると思うのです。
今と昔をかけ渡す梁(はり) 、まさに棟梁として新しいものを生み出すため、その時代の良い素材を見極めて、良いものを工夫して使っていくべきと考えます。これは私の責任だとも思っています。最近、神社仏閣巡りをする方が増えています。京都、奈良に行けば、素晴らしい伝統建築がたくさんあります。広島にも尾道や宮島に重要文化財があります。
では生まれた街はどうなのか。地元のお寺やお宮が美しかったら、故郷をもっと大事にしたいという気持ちになるのではないか。実際、個性的であり良い建物がたくさん身近にあります。だからこそ、これからも日本の伝統を守り、今という時代のなかで、少し新しいことも加えながら後世に伝えていくことに尽力していこうと思います。
高尾神社の拝殿・本殿
鎌倉時代に創建され、室町時代末期の永禄年間(1558~70年)に遷座(せんざ)。2020年10月の御遷座四百五十年奉祝祭に合わせて、拝殿・幣殿・本殿(1933年再建)が改修されました。地域の人から開運厄除の神として親しまれている神社で、毎年節分前後の厄除大祭では巨大なお多福面が飾られ、大きく開いた口をくぐって参拝すると福を招くという「お多福通り抜け」の行事には多くの参拝者が訪れます。