第33 回 日本製鉄音楽賞受賞者インタビュー① フレッシュアーティスト賞/ピアニスト 務川慧悟さん
≪激しい情熱を内に秘めたラヴェル。自分もそんなアーティストに。≫
名古屋製鉄所の景色を見ながら育った少年時代
─務川さんのお父様は旧新日本製鉄にお勤めだったと伺いました。
務川 そうなんです。僕も愛知県東海市にある新日鉄の社宅で生まれて、ずっとその近隣で育ったので、名古屋製鉄所が身近な存在でした。父は研究職だったのですが、いつも忙しそうにしていて、休日も自宅で論文を書いたりしていました。
─務川さんがピアノを始めたきっかけは何ですか。
務川 母の影響です。母はピアノの先生で、自宅でピアノ教室を開いていたので、気がついたら自然にピアノに触れていました。最初は鍵盤を叩くと音が出るのが楽しくて、ゲーム感覚で遊んでいた記憶があります。
─本格的に音楽の道に進もうと決めたのはいつ頃でしょうか。
務川 中学3年生のときです。この年の全日本学生音楽コンクールでピアノ部門1位となり、自分の実力が実感でき、将来演奏家としてやっていけるのかもしれないと思うようになりました。
─東京藝術大学を経てパリの国立音楽院に留学されていますが、パリを選んだ理由を教えてください。
務川 これは直感なんです。もともとドイツ音楽が好きだったので留学するならドイツかなと思っていたのですが、大学1年生のとき、初めての海外旅行でパリを訪れ、街の魅力に衝撃を受けました。街並みの美しさだけでなく、もちろん治安の悪い部分もありますが、そうしたすべてが刺激的で、それで留学先もパリに決めた感じですね。
奥深くに激しい情熱を宿しているラヴェル
─務川さんはラヴェルをテーマにしたリサイタルを開くなど、ラヴェル作品にこだわって演奏活動をされています。
務川 フランスの作曲家なのでパリに留学してから本格的に弾くようになったのですが、直感的に自分に合っているなと感じました。ラヴェル作品は最初は冷たい印象があるのですが、実は奥深くにものすごく情熱的な部分が隠されている。たくさん弾くうちにそのことに気がついたんです。そうした2面性に惹かれますし、自分自身もラヴェルのように情熱を秘めたアーティストでありたいなと思います。
─アルバム『ラヴェル:ピアノ作品全集』は、髙木さんの会社が所有するスタインウェイのビンテージピアノで弾いているとお聞きしました。
務川 はい。レコーディングで使わせてもらいました。手づくりの良さというか、ビンテージならではの個性的な音がにじみ出てくる、そんなピアノでした。
─現代ピアノ以外に、古楽器のフォルテピアノの奏法研究にも取り組まれているそうですが、きっかけは何でしょうか。
務川 僕はパリ音楽院でフォルテピアノを教えているパトリック・コーエン先生に師事しているのですが、彼はとにかく個性的で、電子機器を1つも持っていません。携帯電話はもちろん家に固定電話もない。だから連絡をとるときは手紙です(笑)。自分の芸術性の追求のためにそうしているのですが、人間的にも本当に素晴らしい方で、そのコーエン先生の影響でフォルテピアノに興味を持つようになりました。古楽器に挑戦することで自分自身の音楽性の幅も広がったと感じます。
─2021年のエリザベート王妃国際コンクールで3位となられました。コンクールでのエピソードをお聞かせください。
務川 エリザベート王妃国際コンクールの前に、19年のフランスのロン=ティボー=クレスパン国際コンクールで2位になり、もうコンクールは卒業してもいいかなという気持ちもありました。ただ、やっぱりエリザベート王妃国際コンクールは世界三大コンクールの1つだし、その大舞台に挑戦しないと一生後悔するかもしれないと思って出場を決めました。
エリザベート王妃国際コンクールはすごくユニークなコンクールで、ファイナリストは1週間、携帯電話を取り上げられて、全員でシャペルと呼ばれるお城のような施設で共同生活をします。いろんな国籍や個性を持つピアニストが集まって、一緒にごはんを食べて、自由時間も過ごして、もちろんピアノも弾いて交流を深める。とても刺激的な1週間でした。世界は広いし、才能のある人がたくさんいることを実感しました。
─務川さんは7月に紀尾井ホールで受賞記念コンサートを開かれます。最後に紀尾井ホールの印象についてお聞かせください。
務川 これまで何度かコンサートを開かせてもらっていますが、とにかく音の広がりが素晴らしいです。響きが良くて、1つの音を出したときに、それがホール全体に広がっていくのがすごくよくわかります。小さなコンサートでしか伝えるのが難しい繊細なメッセージも、紀尾井ホールなら伝えられる。受賞コンサートでまた弾かせてもらうのが楽しみです。
(このインタビューは、2023年の春に行われました)
エリザベートコンクール ファイナル演奏時
ラヴェルレコーディング時
古楽器の演奏
ホストファミリーと
6 歳の頃
(プロフィール)務川慧悟(むかわ・けいご)1993 年愛知県生まれ。東京藝術大学を経て、2014 年パリ国立高等音楽院に首席合格し渡仏。パリ国立高等音楽院、第3 課程ピアノ科、室内楽科を修了し、現在第2 課程フォルテピアノ科に在籍。21 年、世界三大コンクールの1つである、ベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクールにて第3位受賞。19 年にはフランスで最も権威のあるロン=ティボー=クレスパン国際コンクールにて第2位受賞。長い歴史と伝統のある2つの国際コンクールの上位入賞で大きな注目を集め、現在、日本とヨーロッパを拠点にソロ、室内楽と幅広く演奏活動を行っている。バロックから現代曲までレパートリーは幅広く、各時代、作曲家それぞれの様式美が追究された演奏、多彩な音色には定評がある。また現代ピアノのみならず、古楽器であるフォルテピアノでの奏法の研究にも取り組んでいる。フランス留学後、研究を深めている作曲家の1人であるモーリス・ラヴェルの作品を取り上げた『ラヴェルのピアノ作品全曲演奏』をテーマにした全6回のリサイタルを17 年シャネル・ピグマリオン・デイズにおいて開催。
●2023年7月21日に紀尾井ホールで開催された「第33回 日本製鉄音楽賞受賞記念コンサート」の様子は、以下よりご覧いただけます。