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丹下健三(たんげけんぞう)が建築した建造物

建築家

丹下健三(たんげけんぞう)について

丹下健三は、1913年(大正2年)生まれの日本の建築家です。
2005年(平成17年)に亡くなるまで、国内外で大小さまざまな建築物を手がけ、その活躍ぶりは「世界の丹下」と呼ばれるほどでした。

「機能的なものが美しいのではない。美しきもののみ機能的である」という思想から、建築物の機能と意匠の両立を追求し、国家的なプロジェクトにも数多く携わります。

東京都庁やフジテレビ本社ビル、広島平和記念公園、代々木国立競技場など、意匠と高い機能性が調和した建築物は、誰でも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

2005年に亡くなった後も、丹下健三の建築物は世界中で評価され続けています。2021年には、アメリカのニューヨークタイムズの企画で、丹下健三の建築物「香川県庁東館」が、「最も重要な戦後建築25作品」に国内で唯一選ばれました。

また、国指定文化財として、国立代々木競技場、広島平和記念資料館に加え、香川県庁舎が新たに登録されています。

この記事では、丹下健三の生い立ちから受賞履歴、丹下健三の手がけた日本国内の著名な建築物について紹介します。

生まれと育ち

丹下健三は、1913年(大正2年)大阪府で生まれました。生後まもなく、父親の転勤のため大阪府の堺市から中国へと移り住み、幼少期を漢口(現在の武漢)や上海で過ごします。

帰国後、愛媛県の今治市で小中学校時代を送りますが、1930年(昭和5年)には中学校を飛び級で修了し、旧制広島高校(現在の広島大学)に進学しました。そこで、当時フランスを中心に活躍していた建築家、ル・コルビュジエをとりあげた書籍に触れ、建築家を目指し始めます。

1935年(昭和10年)には、東京帝国大学(現在の東京大学)工学部建築科に入学。卒業後は建築事務所に就職し、建築士としてのキャリアを歩み始めました。

数々の国家プロジェクトを手がける

丹下健三は、その生涯を通して、数多くの公共施設や商業施設などの建設を手がけました。

代表的なものとしては、戦後の広島平和記念公園や、オリンピック会場である国立代々木競技場の建築、1990年代には、東京都庁、お台場のランドマークタワーであるフジテレビ本社ビルなどの建築を手がけています。

建物のみでなく、都市構想として「東京計画1960」「東京計画1986」を発表するほか、福島、北海道などで都市計画にたずさわります。1970年代には、大阪で開催された日本万国博覧会・会場マスタープランの設計にあたりました。

大阪万博当時の記録では、太陽の塔にはそれをを囲む大屋根を見ることができますがありました。現在はすでに撤去されていますが、この大屋根も丹下健三の建築物です。

主な受賞履歴

丹下健三は、手がけた建築物や、技術者の育成などの功績が認められ、多数の賞を受賞しています。

国内においては、建築の分野で最も権威のある賞と言われている、日本建築学会特別賞や日本建築学会大賞を複数回受賞するほか、高松宮殿下記念世界文化賞の建築部門を受賞しています。

高松宮殿下記念世界文化賞は、絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像の部門において、特に優れている人に贈られる世界的な賞です。丹下健三のほかには、草間彌生、黒澤明といった文化人が受賞しています。

海外では、建築界のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を受賞し、その後もフランス建築アカデミー、イギリス王立建築家協会、アメリカ建築家協会でそれぞれのゴールドメダルを受賞しています。

そのほか、文化の発展などに大きな貢献をしたとして、日本政府より、文化勲章や最高の勲章である勲一等瑞宝章を、西ドイツ、イタリア、フランス政府などからも勲章を受章しています。

丹下健三(たんげけんぞう)の有名な作品集

広島平和記念公園

広島平和記念公園は、広島県広島市に造られた公園です。原子爆弾が投下された爆心地付近を中心に、慰霊碑や資料館などを建設し、1954年(昭和29年)に完成しました。

広島平和記念公園は、国指定名勝や、日本の都市公園100選に選ばれています。公園内の建物では、広島平和記念資料館や、ユネスコの世界文化遺産である原爆ドームが有名です。

終戦から間もない1949年(昭和24年)、丹下健三は、コンペにより広島平和記念この公園の設計者に選ばれました。このコンペで、伊丹健三は「撤去するべき」と言われていた原爆ドームを、戦争の悲惨さを伝えるためのシンボルとして残すことを提案します。

原爆死没者慰霊碑のアーチと、アーチから見える原爆ドームの意匠は、訪れる人の心を強く打つものでした。
公園内に建設された平和記念資料館も、丹下健三により建築されたものです。2階部分は、ルーバーと呼ばれる板状の目隠しで覆われ、1階部分には、原爆ドームへの視界を遮らないよう、ピロティが広く設けられています。
これらの意匠は、国内外から高い評価を受けました。海外の建築家に、丹下健三の存在が知られるきっかけになった公園でもあります。
2016年には、当時アメリカの大統領だったオバマ氏が広島平和記念公園を訪問し、原爆死没者慰霊碑で献花を行っています。

香川県庁舎

1958年(昭和33年)、香川県高松市に建設された香川県庁舎は、戦後の庁舎建築で初めて、国指定の重要文化財に指定された建物です。

香川県庁舎の特徴は、近代的なコンクリート建築と、伝統的な日本建築の意匠の融合です。庁舎の外観や内装は、鉄筋コンクリートにより、軒、梁や柱といった日本建築が精密に表現されています。

また、新しい県庁舎には、県民に対して「開かれた県政」をアピールするという役割がありました。そのため、一階部分には壁のないピロティが設けられ、開かれた行政のシンボルとなっています。

香川県庁舎は、世界的にも評価が高く、2021年にはアメリカのニューヨークタイムズ誌の企画において、「最も重要な戦後建築25作品」として選出されています。この企画では、香川県庁舎のほか、国際宇宙センターやフランスのラ・トゥーレット修道院などが最も重要な建築物として紹介されています。日本の建築物では、丹下健三の香川県庁舎が唯一選ばれました。

香川県庁舎は、広島平和記念公園や、これからご紹介する国立代々木競技場に続き、国指定の重要文化財に指定されています。近代の建築技術を用いて日本の伝統的建築を表現している点、芸術家と共同して、内装、家具などにも意匠をこらしている点が評価されています。

東京カテドラル聖マリア大聖堂

東京カテドラル聖マリア大聖堂は、1964年、東京都の文京区に建築されました。
「カテドラル」とは聞き慣れない響きですが、これはカトリックの司教が座る椅子「カテドラ」からきている言葉です。

香川県庁舎に見られた「伝統建築との融合」とはガラリと雰囲気を変え、東京カテドラル聖マリア大聖堂は、コンクリート作りの無機質な見た目をしています。

東京カテドラル聖マリア大聖堂の特徴は、シェル構造と呼ばれるなだらかな曲面を作るための構造です。同じシェル構造の建築物としては、オーストラリア・シドニーのオペラハウスなどが有名です。

ここでも、丹下健三建築の特徴である意匠と機能の両立が図られており、正面からでは分かりませんが、上空から見ると、東西に広がる十字架の形になっています。

東京カテドラル聖マリア大聖堂の建築が評価され、1970年には、ローマ法王庁から丹下健三に対し、サン・グレゴリオ・マンニャ勲章が贈られています。

東京都庁舎

東京都庁舎は、1990年、東京都新宿区に建築されました。かつて、東京都庁舎は丸の内にありましたが、都市機能を分散させる狙いから、西新宿に建設されました。

「ロボットのよう」とも言われる個性的な見た目は、パリのノートルダム大聖堂の形をモチーフにしたと言われています。

高さは243メートルで、完成した1990年当時は日本一高いビルでした。45階の展望台からは、地上202メートルの景色を眺めることができ、観光スポットとして、現在も国内外から多くの観光客が訪れています。

国立代々木競技場

国立代々木競技場は、1964年、東京都渋谷区に建設されました。
1964年の東京オリンピックでは、水泳、バスケットボールなどの競技が行われ、2021年の東京オリンピックでも、ハンドボールの競技会場として利用されました。

代々木国立競技場の大きな特徴は、大きな空間を作るための吊り構造の屋根にあります。
吊り構造とは、柱とケーブルを用いて屋根を支える構造で、第一体育館には、1964年当時、世界最大かつ世界初の「二重吊り構造」が採用されました。

通常、屋根を吊るためには2本の柱と一本のケーブルが用いられていますが、第一体育館の屋根には、柱とメインケーブルのほか、メインケーブルに接続された複数のサブケーブルが用いられています。サブケーブルを用いることで、屋根の面積を広げることができ、競技のための広い空間が作り出されました。

世界最大かつ世界初の建築は、国家プロジェクトであるオリンピックの開催にあたり、わずか500日の工期で完成しました。改修工事をへて、建築から50年以上経った現在も、現役の競技場として利用されています。

フジテレビ本社ビル

フジテレビ本社ビルは、東京都港区のお台場地区にある建築物です。東京湾臨海部のランドマークとして、1996年に建築されました。丹下健三が直接指揮をとった巨大プロジェクトのうち、生涯で最後に手がけられた建築物でもあります。

フジテレビ本社ビルの大きな特徴は、格子状の構造と、「はちたま」と呼ばれる直径32メートルの球体です。球体は建物の25階にあり、内部は展望台として一般公開されています。

フジテレビ本社ビルの球体にチタンを採用

この球体の外装には金属が用いられていますが、海のそばに建っているフジテレビの本社ビルならではの工夫がなされています。

その工夫とは、外装に、耐久性が非常に高い素材である「チタン」を用いているということです。チタンは、重さは鉄の半分ほどで、かつ鋼と同程度の強度を持つ金属です。強く軽いことから、強度が必要な機械部品や、屋外での耐久性が求められるアウトドア用品の素材として用いられます。

また、熱による素材の伸び縮みが小さいことから、建築物の外装材としても利用されています。同じく臨海部にある東京ビッグサイトや、大阪のリバープレイス湊町の外装にもチタンが使われています。

3200枚ものチタンパネルを使用したお台場のランドマーク

フジテレビ本社ビルの球体は、直径32メートル、表面積2945平方メートルの大きさです。2945平方メートルは、約900坪、バスケットボールのコートおよそ7面の広さ。この広さをカバーするため、球体の外装には、3200枚ものチタンパネルが使われています。

チタンには、耐久性と強度に優れている反面、加工が難しいという特徴があります。板厚0.8ミリの厚さのチタンパネルを一枚一枚加工し、正確な球体にするため、当時の最先端技術だった3Dソフトでの設計や、加工用の機械の開発などが行われました。

海岸地区でも腐食しないメンテナンスフリーの耐久性

金属パネルは、同じ種類の金属であっても、素材により色の微小な差が発生することがあります。どこから見ても同じ色で輝く球体になるよう、チタンパネルの品質は素材の段階から厳しく管理されました。

丹下健三は、生涯を通して、「機能的なものが美しいのではない。美しきもののみ機能的である」という思想から、建築物の機能と意匠の両立を追求し続けました。

加工したチタンパネルは、地上7階の高さで球体への組み立てが行われ、クレーンにより地上35階の高さまで釣り上げ設置されました。直径32メートルの球体がゆっくりと浮かんでいく様は、まさに圧巻だったといいます。

チタンパネルによる外装は、まさに丹下健三の思想通り、美しく、機能的な構造といえるのではないでしょうか。

チタンは、強い日差しや潮風による腐食の影響を受けません。最先端の技術を結集して作られた球体は、完成から20年以上経った現在も、お台場の海辺で輝き続けています。

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